「これもラブストーリー?」 シャーリーズ・セロンはアカデミー主演女優賞を受賞したことで話題になったこの作品。髪の毛を抜き、肌をぼろぼろにし、醜いデブ女に変身した彼女の役者魂が最大の見せ場かと思っていた。

始め観る気はあまりなかったが、朝日新聞のコラムでこの映画が取り上げられ絶賛されていたので映画館に足を運んだ。「気持ち悪い!!」 シャーリーズ・セロンについてこれまで、演技をうまいと思ったことが正直なかったが、美人だったから許せていた。その彼女がとにかく気持ち悪い。タバコを人差し指と親指ではさみ、上下に体を揺らして落ち着きがなく、口をナマズみたいにひん曲げたかと思うと、汚い言葉ばかりを放つ。この時点で、主人公がシャーリーズ・セロンであろうがなかろうがどうでもよくなった。そこまで彼女は、役に、いや、アイリーンになりきっていた。そう、この話は実話がベース。幼少期から父親に乱暴され、実兄の子供を10代で身ごもった主人公。そんな彼女が恋をする。相手は女(セルビー)。でも、一途に彼女を愛するあまり殺人に手を染めてしまうアイリーン。警察に捕まったアイリーンは、セルビーに罪を着せないため自らをモンスターへと変身させる。普通に生活する人間にとっては、堕落した社会の産物である被害者としての殺人犯よりも、単純明快な悪者であるほうが都合がいい。性善説とか性悪説という考え方があるが、この映画は性善説を説いている。でも、僕たちの住む世の中は、無理やりモンスターを作って安定している卑怯な世界なのかもしれない。
挿入歌として使われている『JOURNEY』の曲もいい。
ドキュメンタリーとして『シリアル・キラー アイリーン「モンスター」と呼ばれた女』も!
「感動のない戦争映画」 この映画を観に映画館へ向かう最中、ボクはこの映画に一つの期待を抱いていた。戦争という過酷な環境の中でも、ピアノを愛し奏で続ける主人公を勝手に想像し、その主人公の強さと弱さ、そして音楽の力をわからせてくれる映画なんじゃないかと。そんな人は少なくないはずだ。けれど、2時間半の映画を見終えたボク感想は、当初予想していたものとはまったく違っていた。
戦争という状況の中では、ただ「生きる」ということしか存在しないのだと。そして、この「生きる」には、どんな形容詞も付帯しない。「美しく生きる」とか「いさぎよく生きる」など、ましてや、「ピアノを愛し続け生きる」など、もってのほかだ。がむしゃらにただ生き続けようとする主人公。死んだほうが楽だと思える状況に追い詰められても、彼は「生きる」ことを選んだ。戦争という状況の中では、ピアノは何の力も持たない現実が、まるでドキュメンタリーの様に、嫌というほど映し出される。ドラマチックとは言えない彼の生き様こそリアルな戦争なのだろう。ラストシーンで大勢の観客の前でピアノを奏でるシュピルマン(主人公)。しかし、彼の顔がアップになることはなく、それどころか終始バックショットである。そう、この映画においては、音楽やピアノが重要なのではない。ピアノが弾ける環境、音楽を楽しめる空間があることが重要なんだ。戦時下での収容所経験のあるR・ポランスキー監督だからこそ撮れた真実の戦争映画である。
「こんなのもアリ!!」 単純なストーリー。出演者も少ない。シーンも限られている。なのに、111分間決して退屈しない。ナゼだろう?それはひとえに、監督・脚本・音楽・主演をこなしているヴィンセント・ギャロのセンスの良さが理由だと思う。映像遊び(スローモーションの使い方、カメラ視点の斬新さ)の上手さは、一見の価値あり。と同時に、出演者もなんとも魅力的なのだ。
彼の服はシブイ。タイトなパンツに、いかつめの黒ジャケット。そして、赤いレザーブーツ。歩くときは両手をポケットに突っ込み、やや首を前に出して歩く。黒髪に、青い目、でかい顔。全ての仕草がさまになっている。アウトローだけど実は優しくて臆病なこの主人公に、男なら誰でも憧れ真似したくなるのではないだろうか?女性は、好き嫌い別れるかもしれない(きっと別れるだろう)。けれど、男なら必ずわかるシブさが、彼には染み付いている。
彼のセンスの良さがもっとも顕著に現れているのは、ヒロイン役のクリスティーナ・リッチを通してだろう。これまで格別意識したことのなかった女優だったのに、この映画での彼女はかなりのオーラがある。長い付けまつげに、濃いアイシャドー、髪は金髪に染めている。それでいて、顔は童顔だから、女子高生が無理してケバケバメイクしているようなアンバランスな印象を受けるのだが、それが逆に愛らしい。「普通に綺麗」じゃなく、「味がある」ヒロインに仕上がっている。映画を通して、彼女は全然笑わないのだが、数回だけこぼれる彼女の笑顔は、映画の中の笑顔ランキングがあれば必ずNo1になるであろう魅力を持っている。